医療人として | 糖尿病の治療について | 糖尿病についてのコラム | プロフィール
グルカゴンは本当に悪者であろうか?わが国のグルカゴン研究の第一人者である群馬大学 北村忠弘先生と、そんなディスカッションをしたことがあった。確かに“血糖値を上げるホルモン”として糖尿病診療においては好まれざる存在かも知れないが、生体内では必要な存在であり、アミノ酸代謝に重要な役割を果たしていることも分かってきた。また、グルカゴンを分泌している膵α細胞はいつも膵β細胞の仇役にされてきたが、様々な病態に応じて変化し、時には膵β細胞を助けていることも分かってきた。α細胞(グルカゴン)が悪人でβ細胞(インスリン)が善人と決めつける時代は終わり、糖尿病学も多様性を認識する時代が来たのではないか。グルカゴン受容体拮抗薬が臨床応用されなかったことが、グルカゴンの善の側面を間接的に示している。詳しくは私の友人、大阪大学の河盛 段先生の総説を読んでいただきたい(Kawamori D. J Diabetes Investig. 2019;10(1):26-28.)。
時の権力者である“糖尿病”に虐げられ、悪人の汚名を着せ続けられてきたグルカゴンであるが、救世主として陽の目をみる時が来た。低血糖を解除する薬としてグルカゴン点鼻薬(バクスミーⓇ)が臨床応用されたのだ。グルカゴンは筋肉内注射として低血糖の解除に使用されてきたが、筋注と点鼻では使いやすさに大きな違いがある。また、鼻腔内に噴霧してあげるだけで速やかに吸収され、その後に深呼吸などはする必要がないので、重症低血糖で意識が低下した患者さんにも使用可能である。低血糖が独立した心血管イベントの危険因子であることは第22話でも述べたが、重症低血糖で救急搬送された患者さんが入院すると平均31.4万円の医療費がかかるとも報告されており(糖尿病 62(1):9-16,2019)、医療経済的にも重要な問題となっている。さらに、患者さんは低血糖を一度経験すると、治療を強化することに非常に慎重になる。低血糖は重大な恐怖体験なのであろう。私も大学院生時代、後輩の行うグルコースクランプの被検者となった際、検査後に測定上明確な低血糖ではなくても、大量のインスリンを静脈内注射され、脳内が低血糖であったためか思考能力が低下し、PCRのプライマーの設計すらできなくなったことを覚えている。低血糖の際の“お守り”とも言えるべきツールが一つ増えたことは、患者さんにとっても朗報であろう。
ところで、低血糖を解除する手段の違いによって、患者さんの予後は変わるのであろうか。血糖さえ改善すれば同じなのであろうか。第22話に述べた通り、大規模臨床試験において、低血糖と体重増加がよく相関している。これは低血糖を起こしやすいSU薬やインスリンが体重増加を来しやすいこともあるが、低血糖→摂食→体重増加という悪い流れが起きている可能性も否めない。患者さんの中には、一度低血糖を経験すると再度低血糖になることを恐れてついつい間食してしまう人もいる。また、最初は低血糖予防のための間食が習慣になってしまい、スナッキング肥満(Snacking Obesity)を生んでしまっている可能があると考えられる。なかには“低血糖になると美味しいお菓子が食べられるからラッキー!”という患者さんもおられる(笑)一方、グルカゴンを用いて低血糖を解除された場合、理論上体重の増加は来さないはずだ。徳島大学の松久宗英先生のご報告でも、グルカゴン投与に伴う有害事象に体重増加の記載はない(糖尿病 61(12):815-817,2018)。さらに、グルカゴンがFGF21の産生を促進していることが報告されている(J Endocrinol. 2015 Jul;226(1):R1-16)。FGF21はペマフィブレートで血中濃度が上昇することを第29話でご紹介したが、その他にも様々な病態や薬剤で上昇し、糖・脂質代謝や骨代謝のみならず、全身の臓器で保護作用を惹起していることが報告されている(J Intern Med. 2017 Mar;281(3):233-246)。もしかしたらグルカゴンが“beyond”な作用を発揮するのにFGF21が重要な役割を果たしているかもしれない。将来、低血糖の解除にグルカゴンを用いた場合と、ブドウ糖や補食を用いた場合で予後に差があるとういう研究結果が発表されるかもしれない。
では、全ての低血糖をブドウ糖ではなくて点鼻グルカゴンで解除するべきなのか?実は、そうは問屋が卸さない。バクスミーⓇは薬価が1回(1本)8368.6円する。全ての糖尿病患者さんが全ての低血糖解除にバクスミーⓇを使用したら莫大な医療費がかかってしまう。お国と製薬会社のご尽力で何とか薬価を下げて頂きたい。
<残心>ディベート
今年の日本糖尿病学会年次学術集会もWeb開催となりました。残念ですがコロナ禍です。仕方ありません。学会の企画の中でディベート・セッションの演者を仰せ付かり、架空の患者さんに次の一手としてインスリン療法を推奨する役柄を頂きました。インスリン100周年の記念すべき年の学会で、インスリン療法を支持する演者の役を頂き光栄に思い、気合十分で臨みました。すると、それを視聴していた友人から“怖かった”とか“そこまで言わなくていいだろう”といった辛口評価を頂きました。ディベートは戦わなくては面白くないではないか!と私は反論したいです。打ち合わせの際にも座長の加来浩平先生や田嶼尚子先生に、役になりきってくださいという御指導も頂いていました。ディベートで言いすぎだというのは、俳優さんに“前作では西軍に味方したのに、今回は東軍に就くのか!”と言っているのと同じではないでしょうか。講演会でも“それぞれの病態に合わせて”しか言わない先生が居られるが、それでは講演をする意味がありません。正々堂々真っ向勝負で意見を言い合いましょう。真剣勝負の中にこそ交剣知愛が生まれるともいいます。今回のディベート、お相手が弘世貴久先生と繪本正憲先生でしたので、気兼ねなくできたというのは事実です。有難うございました。
【残心(ざんしん)】日本の武道および芸道において用いられる言葉。残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。(Wikipediaより一部抜粋・転載)
【第01話】多くの人生を変えたミラクルドラック・インスリン
【第02話】HbA1cの呪縛
【第03話】糖尿病と癌
【第04話】糖毒性という名のお化け
【第05話】医者らしい服装とは?
【第06話】食後高血糖のTSUNAMI
【第07話】DMエコノミクス
【第08話】インクレチンは本当にBeyondな薬か?
【第09話】守破離(しゅ・は・り)
【第10話】EMPA-REG OUTCOMEは糖尿病診療の世界を変えるか?
【第11話】新・糖尿病連携手帳
【第12話】過小評価されている抗糖尿病薬・GLP-1受容体作動薬
【第13話】ADAレポート2016
【第14話】メトホルミン伝説
【第15話】Weekly製剤を考える
【第16話】糖と脂の微妙な関係
【第17話】チアゾリジン誘導体の再考~善とするか「悪とす」か~
【第18話】糖尿病患者さんの死因アンケート調査から考える
【第19話】Class EffectかDrug Effectか
【第20話】糖尿病治療薬処方のトリセツ執筆秘話
【第21話】大規模臨床試験の影の仕事人
【第22話】低血糖の背景に、、、
【第23話】ミトコンドリア・ルネッサンス
【第24話】血管平滑筋細胞の奥深さ
【第25話】運動療法温故知新
【第26話】糖尿病アドボカシー
【第27話】GLP-1の真の目的は何か
【第28話】糖尿病連携手帳 第4版
【第29話】残存リスクを打つべし!
【第30話】糖尿病という病名は変更するべきか
【第31話】合併症と併存症
【第32話】メディカルスタッフ
【第33話】新・自己管理ノート
【第34話】グルカゴン点鼻薬とスナッキング肥満
【第35話】SGLT2阻害薬 For what?
【第36話】血糖値と血糖変動のアキュラシー
【第37話】経口GLP-1受容体作動薬
【第38話】コロナ禍をチャンスにする糖尿病診療
【第39話】HbA1cはウソをつく、こともある
【第40話】糖尿病治療ガイド2022-2023:私のポイント
【第41話】順天堂大学医学部附属静岡病院
【第42話】2型糖尿病の薬物療法のアルゴリズム
【第43話】降圧薬のBeyond
【第44話】糖尿病治療はデュアルの時代
【第45話】兄貴に捧げるラストソング
【第46話】血糖だけにこだわらない!糖尿病治療薬の考え方・使い方
【第47話】糖尿病は治るのか?
【第48話】2型糖尿病の薬物療法のアルゴリズム(第2版)
【第49話】医師の働き方改革
【第50話】GLP-1受容体作動薬のセレクト
【第51話】肥満症の治療薬
【第52話】Dear ケレンディア
【第53話】高齢ダイアベティスの極意~キョウイクとキョウヨウ~
【第54話】尿アルブミンは心血管の鏡
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